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燃えよ剣49

发布日期:2022-10-20 12-13-12文章来源:易学国际教育文章原创作者:小易浏览次数:97
信息摘要:
江戸へ「夫婦」といっても、はじめは芝居じみていたが、二人の人間が一ツ意識で懸命に芝居しあっていると、本気でそうなってしまうらしい。お雪と歳三が、そうだった。たった一夜をすごしただけで、千夜もかさねてきたような気持になった。西昭庵の二日目。——お雪も歳三もすっかり板...
江 戸 へ
「夫婦」 といっても、はじめは芝居じみていたが、二人の人間が一ツ意識で懸命に芝居しあっていると、本気でそうなってしまうらしい。 お雪と歳三が、そうだった。 たった一夜をすごしただけで、千夜もかさねてきたような気持になった。 西昭庵の二日目。—— お雪も歳三もすっかり板につき、ちょっとしたことでも、同じときに、 「………」 と、微笑しあえるようになった。同時に笑えるというのは、二つの感覚が相寄ってついに似通ってしまわなければ、そうはいかないであろう。 午後、歳三が、 (きょうも夕陽をみられるかな) と、西の障子をあけ、浪華の町のむこう、北摂の山なみを、町並を遠見にながめていると、言葉には出さなかったはずだのに、お雪が、 「この雲の模様では、いかがでございましょう」 といった。なるほど雲が出ている。 「見とうございますわ、きょうも」 「しかし月の名所はきいているが夕陽の名所というのはめずらしいな。この家の名も西昭庵というから、夕陽だけが売りものなのだろう」 「でも、昭の字が、照ではございませんね」 「照では、ぎらぎらしすぎるようだから、昭を用いたのかもしれない。昭のほうがあかあかとしているうちにも、寂光《じやくこう》といったしずけさがあって、夕陽らしい」 「豊玉宗匠。——」 お雪は忍び笑って、歳三をからかった。さすが俳句をひねるだけあって、漢字に対する語感も研《と》がれているのであろう。 西昭庵には、茶室がある。 そのあと、お雪は、炉の支度などをして、歳三をよんだ。歳三は、炉の前にすわった。 「私には、茶ができない」 「お喫《の》みになるだけでよろしゅうございます」 「この菓子は?」 「京の亀屋|陸奥《むつ》の松風《まつかぜ》でございます」 (京。……) と聞くだけで、歳三はそくそくと迫るような感懐が湧きあがってくる。京の町がすきなのではない。京の町にうずめた歳月が、思いだすにはあまりにもなまなましすぎるのであろう。 お雪はすぐ察したらしく、あわてて話頭をかえようとしたが、いったん沈黙にのめりこんでしまった歳三をひきもどすことはできなかった。 歳三はだまって茶碗をとりあげ、ひと口のみ、しばらく考えてから、ぐっとあおるように一気にのんだ。 「いかがでございました」 「ふむ?」 夢から醒めたように顔をあげ、 「結構だった」 と口もとの青い泡を、懐紙でぬぐった。 「お雪どのは、絵の修業でずっとこののちも京に住むつもりか」 「そのつもりでいます。江戸に帰っても戻る家がございません。——世が治まれば」 お雪は、つい二人の間の禁句をいった。 「治まれば、歳三様とご一緒に住めましょうか」 「将来《さき》のことはわからぬ。茶の湯でいうように、一期《いちご》の縁を深めるほかに、われわれの仕合せはないように思う。わしはこのさき流離《りゆうり》にも似た戦いをつづけてゆくか、それとも一挙に世を徳川のむかしへもどしうるか、将来《さき》のことはわからぬものだ。こういう男と縁のできたそなたが哀れにおもう」 「いいえ、お雪は、自分の現在《いま》ほどの仕合せはないと思っています」 不幸な結婚を前歴にもつお雪は、ああいった暮らしを何年つづけていっても、このふつかふた夜の思い出に及ばないと思っている。 「——ただ」 絶句して、お雪は顔を伏せた。肩で、泣いている。この二日ふた夜が、万年もつづけばよい、とつい望めぬことをおもったのであろう。 「もう時刻かな」 歳三は、懐中の時計をとりだした。夕陽を待っている。すでに刻限にまぢかい。 「西の縁へ参りましょう。わたくしはここを片づけてから参りますから、おさきに」 西の縁側に立った。 が、雲がいよいよ低くなっていて、わずかに西の空に朱がにじんでいる。 「お雪、だめなようだな」 と、奥へ大声でいった。 「夕陽が?」 とお雪が出てきた。 「まあ、やはりだめでございますね。でも、きのうあれだけ綺麗な夕陽をみたから」 「そう、それでいい。昨日の夕陽が、きょうも見られるというぐあいに人の世はできないものらしい」 陽が落ちると、急に部屋のなかが薄暗くなり、ひえびえとしてきた。 「寝ようか」 と、なにげなく歳三がいってから、お雪を見た。 耳もとが、赫《あか》くなっている。
翌朝、歳三は、西昭庵の者に駕籠をよばせ、いそいで身支度をととのえた。 やがて、駕籠がきたことを、この家の者が知らせてきた。歳三は脇差を腰に押しこみながら、 「お雪、出かける」 別れる、と歳三はいわなかった。お雪も、歳三の和泉守兼定を|そで《ヽヽ》で抱き、玄関まで、さも自分が歳三の妻であるような気持になって、見送りに出た。 歳三は、式台をおりて白緒の草履に足を入れて、式台へふりむいた。 お雪が、刀を渡した。 「では。——」 それっきりで、出て行った。その姿が、庭の植込みのむこうに消えたとき、お雪は、二日間歳三とともにすごした部屋にもどった。 「わたくし、いま数日、泊めていただけませぬか」 と、お雪は西昭庵の内儀に頼んだ。 「どうぞ、なんにちでも」 内儀も、なにごとかを察していたのであろう。お雪にひどく同情をもった口ぶりでいった。 その後、数日、この部屋でこもりっきりで岩絵具《いわえのぐ》をとかしたり、筆をならべたり、画仙紙をかきつぶしたりして、すごした。 もう一度、あの日の落日を見るつもりであった。西昭庵の台地から見おろした浪華の町、蛾眉《がび》のような北摂の山々、ときどききらきらと光る大坂湾《ちぬのうみ》、そこへ落ちてゆくあの華麗な夕陽を描こうとした。 お雪は、風景は得意ではない。しかしかきとめねばならぬとおもった。下絵を何枚もつくり、最後に絹布をのべたとき、歳三とともにみたあの夕陽が落ちてゆくのをみた。
 幕府軍艦富士山丸が、歳三ら新選組生き残り四十四人をのせて大坂天保山沖を出たのは、正月十二日であった。 抜錨《ばつびよう》したのは、西昭庵でお雪が最初の下絵にとりかかったころであったろう。 艦が、第一日、紀淡海峡にさしかかったとき、戦傷者のひとりである山崎烝が息をひきとった。大坂浪人である。 新選組結成直後の第一次募集に応じて入隊した人物で、隊ではずっと監察をつとめ、池田屋ノ変では薬屋に変装して一階にとまりこみ、放胆な諜報活動をした男である。 淀堤の千本松で、薩軍陣地に斬りこむとき身に三弾をくらってもなお生きつづけてきたほど気丈な男だが、乗船のころから化膿がひどくなり、高熱のなかで死んだ。 「死んだか」 歳三は、にぎっている山崎の手が急につめたくなったことで、もう眼の前にいるのが山崎でなくなったことを知った。 葬儀は、洋式海軍の慣習による水葬をもってせられた。 山崎の遺骸を布でぐるぐる巻きにし、錨《いかり》をつけ、国旗日の丸(嘉永六年ペリー来航以来、幕府はこれを日本の総旗じるしとしていた。鳥羽伏見の戦いでも幕軍は日章旗をかかげ、幕府海軍も軍艦旗に日章旗をもちいていた。これを国旗として維新政府があらためて継承したのは、明治三年一月である)をその上にかけ、甲板には、艦長以下の乗組士官、執銃兵が堵列《とれつ》した。 「そうか、海軍が山崎の葬儀をしてくれるのか」 と、士官室で病臥したきりだった近藤も、紋服、仙台平をつけて、甲板上に出てきた。 顔が青い。 体を動かすとまだ肩の骨が痛むようであった。 近藤と同室で寝ている沖田総司も、もうひとりで歩きにくいほどに衰弱していたが、 「土方さん、私も出ますよ」 と、寝台をおりた。とめたが、この若者は笑っているだけで、羽織、袴をつけ、刀を杖につき、手すりにつかまり、階段をのぼろうとした。 歳三が、右腕をかかえてやろうとすると、 「いやですよ」 とことわった。新選組の沖田総司が、衰弱しきってひとの肩を借りて歩行した、などといわれるのは、この見栄坊の総司にはたえられないのであろう。 「医者が臥《ね》てろ、というからいいつけどおりにしているんだけど、私はほんとうは元気なんですよ」 「そうかね」 歳三は、この若者の笑顔が、透きとおるような美しさになってきているのを、おそろしいものでも見るようにして見た。 「軍艦《ふね》の階段は、急だなあ」 あえぎをごまかそうとして、そんなことをいった。 無理である。呼吸《いき》をするには、沖田の肺はなかばその機能をうしないはじめていた。 新選組四十三人のうち、動けぬ重傷者三人をのぞいて、全員が甲板にならんだ。近藤はむろんのこと、そのほとんどが、大なり小なりの負傷をしていた。 「土方さんぐらいのものだなあ、無傷で突っ立っているのは」 と、沖田が、くすくす笑った。 「ものをいうと疲れるぞ」 「疲れませんよ。感心しているんです。見渡してみると、どうみても土方さんだけが鬼のように達者だ」 「静かにしろ」 やがて、銃隊を指揮している海軍士官が剣をぬいた。 号令をかけた。 だだだだ、だあーん、と弔銃が紀淡海峡にひびきわたり、監察・副長助勤山崎烝の遺骸は、舷側から海にすべりこんだ。 その間、喇叭《らつぱ》が吹奏されている。 葬儀がおわってから、近藤は、海軍のこの葬儀がよほどうれしかったらしく、艦長|肥田《ひだ》浜五郎(機関にあかるく、維新後新政府に乞われて仕え、海軍少将にあたる海軍機関総監などに任じ、明治二十二年四月二十七日、公用で出張中、静岡県の藤枝駅でホームから顛落し、おりから入ってきた汽車にひかれて死んだ)をつかまえて、 「かたじけない、かたじけない」 と、何度も礼をいった。近藤も一軍の将でありながら、傷で憔悴《しようすい》しているせいか、肥田艦長に腰をかがめている姿が、田舎の老夫のようにみえた。 士官室にひきとってからも、 「歳、新選組も結党以来、何人死んだか数えきれねえほどだが、山崎のようなああいう葬礼をしてもらったやつはいない。よく働いたやつだが、死んで恵まれもした」 さかんに感心した。 「近藤さん、葬礼なんぞに感心するもんじゃねえよ。志士ハ溝壑《こうがく》ニアルヲ忘レズ、勇士ハソノ元《くび》ヲ喪《うしな》フヲ忘レズ、という言葉がある。自分の死体を溝《みぞ》にすてられ、首が敵手に渡るという運命になることを忘れぬということだ。男というものは、葬われざる死をとげるというものだ、とおれはおもっている」 「歳、おまえはつむじまがりでいけねえよ。山崎は勇士であってしかも葬われた。それをおれはよろこんでいる」 が、近藤、土方、沖田は、その最期において、葬われるかどうか。 艦は、汽罐《かま》をいっぱいにたいて、太平洋岸をつたいつつ、東航した。 富士山丸は、木造、三本マスト、千トンの大艦である。 艦載砲十二門。 百八十馬力。 幕府が米国へ発注して慶応元年にうけとったもので、長州征伐のとき下関砲撃にも参加した歴戦の艦である。 が、千トンの木造船といえばよほど大きいはずだが、この一隻に千人をこえる幕軍が乗ったために、艦内生活の苦しさは言語に絶した。 食事も艦の厨房《ちゆうぼう》だけでは調理しきれず、甲板にいくつもの大釜をもちだしてめしをたき、汁を煮、そのまわりはびっしりと人が詰まり、それも横臥できるゆとりがなく、みな膝をかかえてわずかに安らいでいる。 正月の海は風浪が荒く、ほとんどが船酔いで病人同然になり、与えられた食事を残さずに食えるという者がすくない。 米も、わるい。大坂で積みこんだ米は、大坂城に貯蔵されていた古米が多く、たきあげると悪臭を放った。 近藤も、江戸のころは食いものをどうこういうような性格でも暮らしでもなかったが、京にきて美食に馴れたため、 「歳、これァ、食えねえな」 と閉口した。 歳三は、ほとんど食わなかった。まずいものを食うぐらいなら、死んだほうがましだと思っている。 ただ、沖田総司がひと粒も口にしないのには、近藤も歳三も弱った。 「総司、食うんだよ」 と叱ってみたが、力弱く笑っている。食わなければ病気にわるいことはきまっているのだ。近藤はどなるようにいった。 「総司、武士が戦場の兵糧のまずいうまいをいうべきものでないんだ」 「どうも、酔って」 総司は、真蒼な顔だった。 「無理にたべても、吐くんです。吐くと力が要って、どうもあとがわるいんです」 歳三は、平隊士のなかで妙に船につよい野村利三郎をえらび、沖田の看病をさせた。野村は気のつく男で、厨房で魚の煮汁と|かゆ《ヽヽ》を作らせ、沖田に飲ませた。それだけがやっとのどを通った。 海上四日。 十五日未明に品川沖にさしかかったとき、歳三は甲板に出て、舷側から吐瀉《としや》していたがふと陸地の灯を見、 「あれはどこだ」 と、水夫にきいた。 「品川宿《しながわじゆく》でございます」 水夫は、伊予塩飽《いよしあく》なまりで答えた。 (品川なら、これは降りたほうがいい) と、艦長の肥田浜五郎にかけあうと、浜五郎はあっさり承知し、笑いながら早口でなにか云った。歳三があとで思いだすと、どうやら、 「新選組も、船酔いには勝てぬとみえますな」 といったらしい。 未明、投錨し、三隻の短艇がおろされ、新選組四十三名だけが、上陸することにした。 品川では、 「釜屋」 という旅籠にとまり、近藤と沖田だけは投宿せず、浜からそのまま漁船をやとい、ひとあしさきに江戸に入り、神田和泉橋にある幕府の医学所で治療をうけることになった。 歳三は釜屋の入口に、 「新選組宿」 と、関札を出させた。この品川釜屋が、京大坂を離れた新選組の最初の陣所というべきであったろう。 「諸君、戦さはこれからだ。数日逗留するから、船酔いの衰えを回復することだ」 といいふくめ、自分は海のみえる奥に一室をとり、掻巻《かいまき》一枚をひっかぶって、ごろりと横になった。 (いまごろ、お雪はどうしているか) 奇妙なことに、お雪がまだあの西昭庵にいるような気がしてならない。 おそらく、あの別れの日、お雪が、わが家から送り出すようにして、式台にひっそりとすわっていたからだろう。 夕刻まで、ぐっすりとねむった。 起きた。
 そのころ、お雪は西昭庵のあの部屋で絵絹をのべながら、たったいま北摂の山に沈んでゆく陽の赤さを、どの色でうつしとるべきか、ぼんやり思案していた。
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