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燃えよ剣60

发布日期:2022-10-20 12-13-44文章来源:易学国际教育文章原创作者:小易浏览次数:97
信息摘要:
艦 隊 北 上この夜、風浪やや高い。艦隊は、北上している。歳三の乗っている幕艦開陽丸は、左舷に紅燈、右舷に緑燈をともし、主檣頭《メインマスト》に、三燈の将官燈をつけていた。この燈火が一燈の場合は、坐乗する提督は少将、二燈の場合は中将、三燈の場合は大将というきまりになっていた。榎本武...
艦 隊 北 上
この夜、風浪やや高い。 艦隊は、北上している。 歳三の乗っている幕艦開陽丸は、左舷に紅燈、右舷に緑燈をともし、主檣頭《メインマスト》に、三燈の将官燈をつけていた。 この燈火が一燈の場合は、坐乗する提督は少将、二燈の場合は中将、三燈の場合は大将というきまりになっていた。 榎本武揚は、大将、というわけである。 将官私室に起居していた。 歳三のためには、その次格の部屋ともいうべき参謀長室があてられている。 艦は、当時世界的水準の大艦で、十二センチ口径のクルップ施条砲《せじようほう》二十六門をそなえ、その戦闘力は、一艦よく官軍の十艦に匹敵するであろう。 日没後、榎本は甲板を巡視した。 風浪はつよいが、帆走に都合がいい。石炭の節約のため艦長が汽罐を休止せしめたのか、煙突は煙を吐いていない。 榎本は、歳三の部屋の前を通った。船窓から灯がもれている。 (あの男、まだ起きているのか) 榎本は、徹頭徹尾洋式化された武士だが、かといって同類のフランス式武士大鳥圭介をさほどに信頼していなかった。 生涯ついに会うことがなかったが、この榎本は近藤勇にひどく興味をもっていた。 のちの函館の攻防戦のときも、永井玄蕃頭|尚志《なおむね》という旧幕府の文官(若年寄)あがりに都市防衛の指揮権をゆだねたことを後悔し、 ——たとえば死せる近藤勇、あるいは陸軍奉行並の土方歳三に函館をまかせればああいうざまはなかったであろう。 と、晩年までそういうことをいった。 榎本は、新選組がすきであった。のちに維新政府の大官になった旧幕臣のなかで、新選組を熱情的に愛した第一は初代軍医総監の松本順(旧名良順)、ついで、榎本武揚である。 榎本は、歳三の部屋のドアの前で、足をとめた。 (話してみたい) と、おもったのである。 仙台の城下で、はじめてこの高名な新選組副長土方歳三という者と会った。 ともに青葉城に登城して仙台藩主を説得したりしたが、二人でゆっくり語りあったことはなかった。 (なるほどあの男は弁才はなかった) しかし城の詰め間に裃《かみしも》をつけて据えておく男ではない。 どうみても戦うためにのみうまれてきたような面魂《つらだましい》をもっていた。 榎本は幕臣のそだちだから旗本というものがいかに懦弱《だじやく》な者かを知っている。土方のようなつらがまえの男を、かつてみたことがない。 (陸軍はこの男にまかせよう) 榎本は、そうきめていた。 かれは、土方歳三という男が、江戸脱走以来、宇都宮城の奪取、日光の籠城、会津への転戦、会津若松城外での戦闘など、かれがどんな戦さをしてきたかを、土方の下にいた旗本出身の士官からきいてよく知っている。この新選組の旧《もと》副大将は、おどろくほど西洋式戦闘法を自分のものにし、独自のやり方をあみだしていた。 一例は、若松城外での戦闘のときである。 榎本がきいている話では、歳三は小部隊をひきいてみずから偵察に出かけた。 部落のはずれに、雑木林がある。道はその林の中を通っている。 すでに薄暮になっていた。雑木林まできたときにわかに林中からミニエー銃の一斉射撃をくらった。 一同、官軍の大部隊に遭遇したとみて、散って伏そうとする者、応射しようとする者、大いに狼狽したが、歳三はすぐ鎮《しず》め、 「みな、その場その場で大声をあげろ、声をそろえろ」 と命じた。 わあっ、と一せいに叫びあげると、雑木林の敵もこれにつられて、 わあっ、 と応じかえした。 歳三は、あざわらった。 「少数だ。前哨兵である」 声で、数まであてた。五十人とみた。 「かまわずに進め」 と、どんどん押してゆくと、敵は前哨兵だから、戦わずに逃げた。 歳三が偵察からもどってくると、平素、歳三に臆病者とののしられている大鳥圭介が、 「なぜ射たなかった」 と、やや難ずるようにいった。 「理由はあなたがもっている仏式の歩兵操典にかいてある。斥候の目的は偵察にあり、戦闘にはない」 大鳥も負けていない。 「敵も前哨兵だ。戦って捕虜にすれば本隊の状況がわかるではないか」 「そのとおりだ。しかし、捕虜の口を借りるより、拙者自身が敵の本隊を見てきたほうがもっと確かだろう」 事実、大胆にも敵の本隊の眼鼻がみえるところまで接近して、その動きを偵察して帰っている。 将校斥候としては、理想的な行動といっていい。 しかも歳三は偵察から帰隊するや、剣士三十人、銃兵二百人をつれて無燈のまま急進し、その本隊の宿営地を襲って、はるか後方まで潰走《かいそう》させている。 (大鳥には出来ない芸当だ) この話をきいたとき、その指揮ぶりがもはや|芸《ヽ》になっていると思った。|戦さ《ヽヽ》芸《ヽ》の巧緻さ、決断の早さ、大胆さ、行動の迅速さは三百年父祖代々の食禄生活にあぐらをかいて、猟官運動にだけ眼はしのきく譜代の旗本たちの遠くおよぶところでないとおもった。 だいぶ、海霧《ガス》が出はじめている。 船尾から十町はなれてついてくる甲賀源吾艦長の「回天」の舷燈がみえなくなっていた。 「開陽」は、霧笛を噴きあげた。 やがてはるか後方の闇で、「回天」の霧笛がそれに応じてくるのがきこえた。 (すべてうまく行っている) 榎本は、歳三の部屋のドアをノックした。 「………?」 歳三は、洋式に馴れない。剣をとってドアに近づき、身をよせ、 「たれか」 と、声を押し殺した。京の新選組当時に身につけた用心ぶかさは、もはやこの男の癖になっている。 「私です。榎本です」 「ああ」 と、歳三はドアをひらいた。 真黒な風とともに、船将服の榎本が入ってきた。 「お邪魔ではないですか」 榎本は微笑している。オランダの首都ヘーグの市庁舎で、「どうみてもお前は極東人ではない。スペイン人だろう」といわれたほどの彫《ほ》りの深い顔をこの男はもっている。面長《おもなが》の多いいわゆる江戸顔ではない。 榎本家は、三河以来の幕臣であるが、じつはこの武揚自身にはその血は流れていない。 父円兵衛は、備後国《びんごのくに》深安郡湯田村箱田の庄屋の子であった。土地を支配している郡奉行《こおりぶぎよう》にその学才を愛され、江戸へつれて行ってもらい、幕府の天文方高橋作左衛門、伊能|忠敬《ただたか》の両人に師事して江戸でも有数の数学者になり、幸い幕臣榎本家の株が千両で売りに出ていたのでそれを買い、榎本円兵衛|武規《たけのり》と名乗り、五人扶持五十五俵を給せられることになった。 その子である。 血に田舎者の野性がまじっている。しかし武揚自身は三味線堀の組屋敷でうまれた生粋《きつすい》の江戸っ子で、学問一筋かと思うと狂歌としゃれがうまい。ほどよく田舎者の血と都会育ちのうまみがまじって、一種の傑作というべき人間をつくりあげた。 榎本は、歳三が文久三年三月十五日、近藤勇、芹沢鴨らとともに新選組を京で発足させた一月目の四月十八日に、幕府留学生十五人の一人としてオランダのロッテルダム港に入港している。 当時ロッテルダムの市民は、伝説と噂のみにきく極東の「サムライ」を見物するために、川岸に数万の人出があり、騎馬巡査が交通整理に出馬し、怪我人まで出るさわぎであった。 歳三が京で浮浪浪士を斬っている三年半のあいだに、榎本は化学、物理、船舶運用術、砲術、国際法をまなび、さらに当時めずらしかった電信機まで学んでモールス信号の送受信に相当な腕をもつにいたった。 しかも、おりから丁墺《ていおう》戦争(一八六四年のデンマーク・オーストリア戦争)がはじまったので、観戦武官として戦線に出かけた。 もっともこの戦争は、弱小国デンマークが、当時の大国オーストリアとビスマルクにひきいられた新興国プロシャの連盟のために、あっけなく敗れただけの戦争だったが、榎本がうけた衝撃は大きかった。 「弾丸雨飛の中を出入して、いわゆる文明国戦を実地にみた。この利益は大きかった」 と榎本は後年いっている。 墺普《おうふ》連合軍がデンマークに侵入し、シュレスウィッヒを陥したころ、榎本はその最激戦場を見た。 そのころの陰暦になおすと、歳三らが京都三条小橋西詰め池田屋に斬りこんだ元治元年六月五日前後であったろう。 新選組が京の花昌町に新屯営を造営して大いに威を張った慶応元年十月の当時、オランダでは榎本はウェッテレンの火薬廠で、火薬成分の研究をし、さらに幕府が買い入れるべき火薬製造機械の注文交渉をしている。 慶応二年九月十二日夜半、歳三が原田左之助ら三十六人を指揮して三条橋畔で土州藩士らと大乱闘をやっていたころ、榎本は、ロッテルダム市から約十里離れたドルドレヒトという小村にある造船所に詰めていた。 いま乗っている「開陽」が、数日後に竣工するまでになっていたからである。「開陽」ほどの大艦の造船は、オランダでもめずらしかったから、当時は新聞、雑誌がこの艦のことを書きたて、「果してこの艦を架台から無事、河底の浅いドルドレヒト河におろしうるかどうか、技術上の最後の苦心はそこに払われた」と雑誌ネーデルランス・マハサイが書いている。 これが無事、進水し、さらに両岸の風景の美しいメルヴェ河にうかびあがったときは、臨席した海軍大臣も、その付近の牛飼いも昂奮につつまれて歓声をあげた。 そのころ歳三は、鴨川|銭取橋《ぜにとりばし》で、薩摩藩に通謀した疑いのある五番隊組長武田観柳斎を斎藤一をして刀で討ちとらせている。
「どうも」 と歳三は、妙に照れながら椅子をすすめ、卓子《テーブル》にむかいあった。 榎本は腰をおろしたが、この男もどこか落ちつかない。 たがいに異邦人といっていいほど経歴がちがうのだ。 「船酔いは、されませんか」 と、榎本は話題がみつからないまま、あたりさわりのないことをいった。 歳三は、だまって微笑し、すぐこの男独特の不愛想な顔にもどった。 榎本は、 「土方さんは、軍艦ははじめてでしょう」 といった。 「いや、大坂から江戸へもどるとき富士山艦に乗っています。あのときはすこし」 「酔うのは当然です」 榎本は、そのあと、京の新選組のころのことを聞いた。 歳三は、 「往事茫々《おうじぼうぼう》です」 といったきりで、多くを語らず、ただ近藤のことを二、三話し、 「英雄というべき男でした」 といった。 榎本はうなずいた。 「ヨーロッパやアメリカの軍人、貴族にはああいう感じの男がたくさんいる。日本は武士の国だというが、すくなくとも江戸の旗本には豪毅さの点において、ヨーロッパ人に劣る者がほとんどです。私は新選組を思うとき、いつも新興国のプロシャの軍人を思いだす。似ています」 「そうですか」 歳三には、見当もつかない。 「土方さん、考えてもみなさい。欧米を洋夷々々というが、かれらのうちの商人でさえ、この開陽の半分ほどの船に乗って万里の波濤を越え、生死を賭けて日本に商売にやってきている。馬鹿にしたものじゃない」 ついで榎本は函館(箱館)について語った。 榎本は年少のころから冒険心がつよく、十八、九のころ、のちに目付、函館奉行になった幕臣堀|織部正利熙《おりべのしようとしひろ》がまだ御使番にすぎなかったころ、幕府から密命をうけ、松前藩の内情をさぐるため、北海道《えぞち》へ行くことになった。 その堀に懇願してその従僕になり、二人とも富山の薬売りに化けて函館まで出かけた、という。 「講釈でいう、隠密ですよ。あのときはわれながら、こういうことが実際あるのか、とおかしかった」 と、榎本はいった。 榎本が函館へ行こうと思った最も小さな理由は、かつて行ったことがあるからである。 最大の理由は、北海道を独立させ、函館に独立政府を作ることであった。 「外国とも条約を結びます。そうすれば京都政府とは別に、独立の公認された政府になるわけです」 その独立国の元首には、徳川家の血すじの者を一人迎えたい、というのは歳三はすでに仙台で榎本からきいている。 「政府を防衛するのは、軍事力です。それには、京都朝廷が手も足も出ないこの大艦隊があります。それに土方さんをはじめ、松平、大鳥らの陸兵」 ほかに、と榎本はいった。 「かの地には、五稜郭《ごりようかく》という旧幕府が築いた西洋式の城塞がある」 徳川家の血縁者を元首とする立憲君主国をつくるのが、榎本の理想であり、その理想図は、オランダの政体であったろう。 そのほか、榎本が函館をおさえようとした理由の最大のものは、函館のみが、官軍の軍事力によって抑えられていない唯一の国際貿易港であった。 長崎、兵庫、横浜はすべて官軍におさえられ、その港と外国商館を通じて、官軍はどんどん武器を買い入れている。 函館のみは、公卿の清水谷|公考《きんなる》以下の朝廷任命の吏僚と少数の兵、それに松前藩が行政的におさえてはいるものの、それらを追っぱらうのにさほどの苦労は要らず、まずまず、残された唯一の貿易港である。 外国人の商館もある。 ここで榎本軍は武器を輸入し、本土の侵略をゆるさぬほどの軍事力をもち、産業を開発して大いに富国強兵をはかり、ゆくゆくは、現在静岡に移されてその日の暮らしにもこまっている旧幕臣を移住させたい、と榎本は考えている。 「土方さん、いかがです」 と、榎本は血色のいい顔に微笑をのぼらせて、得意そうであった。 榎本は、楽天家である。 なるほど、かれが知りぬいている国際法によって外国との条約も結べるであろう、経済的にも立ちゆくだろうし、軍事的にもまずまず将来は本土と対等の力をもつにいたるかもしれない。 「三年」 榎本は指を三本つき出した。 「三年、京都朝廷がそっとしておいてくれればわれわれは十分な準備ができる」 「しかし」 と歳三は首をひねった。 「その三年という準備の日数を官軍が藉《か》さなければどうなるのです」 「いや日数をかせぐのに、外交というものがある。うまく朝廷を吊っておきますよ。われわれは別に逆意があってどうこうというのではないのだ。もとの徳川領に、独立国をつくるだけのことだから、諸外国も応援してくれて、官軍に横暴はさせませんよ。私がそのように持ってゆく」 「なるほど」 榎本は近藤に似ている、と思った。途方もない楽天家という点で。 (そういう資質の男だけが、総帥がつとまるのかもしれない) 歳三は、所詮は副長格である自分に気づいている。 むろん、それでいい。 おおいに榎本を輔《たす》けてやろう、と思った。 ただ、|二代《ヽヽ》目《ヽ》の楽天家が、|初代《ヽヽ》とちがい、ひどく学問があるのに閉口した。それになかなかの利口者であった。 (官軍は三年も捨てておくまい。かならずそれ以前にやってくる。その戦さにこの男は耐えられるか) 歳三は、条約などはどうでもいい。要は喧嘩の一事である。榎本のなかに近藤ほどの戦闘力があるかどうかを見きわめたかった。
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