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燃えよ剣54

发布日期:2022-10-20 12-13-49文章来源:易学国际教育文章原创作者:小易浏览次数:113
信息摘要:
流 山 屯 集「いや惨敗。夢、夢だな」近藤は、神田|和泉《いずみ》橋《ばし》の医学所のベッドのうえで、高笑いをした。声がうつろである。故郷の南多摩の連中が、野菜をかついで見舞いにきているのである。ガラス窓に三月の陽ざしがあたって、室内は体が饐《す》えるようにあったかい。「どうも甲...
流 山 屯 集
「いや惨敗。夢、夢だな」 近藤は、神田|和泉《いずみ》橋《ばし》の医学所のベッドのうえで、高笑いをした。 声がうつろである。 故郷の南多摩の連中が、野菜をかついで見舞いにきているのである。 ガラス窓に三月の陽ざしがあたって、室内は体が饐《す》えるようにあったかい。 「どうも甲州くんだりまで行って、得たものというのは古傷の破れだけさ。官軍がああも早く甲府城に入っているとは知らなかった」 「官軍の先鋒はもう武州|深谷《ふかや》にまできているといううわさですよ」 と、ひとりがいった。 事実である。官軍総督府では、江戸城進撃の日を三月十五日ときめていた。 この日、三月七日。江戸もあとわずかの命脈である。そこへ歳三がすっかりやつれた顔で入ってきた。江戸へ敗退した近藤をさがしもとめて、やっとつきとめてやってきたのである。 「済まぬ」 歳三は頭を垂れた。 神奈川、江戸、と八方かけまわって援軍をたのんだが、ついに一兵も得られなかった。 「敗軍はおれのせいだった」 「なあに、歳」 近藤は、時勢をなかばあきらめはじめている。 「あのときたとえ援軍が来ていても手遅れよ。西からきた官軍の足のほうが早かった。足の競走だから、こいつは恥にもならない」 やがて、八王子でちりぢりばらばらになった原田左之助、永倉新八、林信太郎、前野五郎、中条常八郎ら、新選組の同志がやってきた。 「ずいぶん探した」 と、永倉がいった。 再挙を相談したい、と永倉、原田は、敗戦のつかれなどはすこしもない。 「今宵、日が暮れてから、深川森下の大久保|主膳正《しゆぜんのしよう》殿の屋敷に集まってもらえまいか」 と永倉新八はいうのだ。 (おや、いつのまに永倉、原田が隊の主導権をにぎった) と歳三は内心不快だったが、よく考えてみると、隊などはどこにもない。みな、いまでは個人にもどってしまっている。個人としても、永倉、原田、いずれも大御番組の身分で、りっぱな徳川家の家臣である。 「集まっていただけましょうな」 と永倉が念をおすと、近藤はべつに気にとめるふうもなく、行くよ、とうなずいた。 近藤、歳三のふたりは、その夕、大久保屋敷に行った。主人の主膳正は、最近まで京都の町奉行だった男だから、近藤も歳三もよく知っている。 会合はその書院を借りた。 すでに五、六人、頭数がそろっていたから近藤は、やあやあ、といって上座についた。 酒肴が出る。
 このころ、前将軍慶喜は上野寛永寺に蟄居して月代《さかやき》も剃らず、ひたすらに謹慎恭順の態度を持していた。 幕下の抗戦派に不穏の動きが多いときき、しばしば諭《さと》し、江戸城決戦論の首魁《しゆかい》と思われる海軍の榎本武揚、陸軍の松平太郎に対してはわざわざ召致して、「そちらの言動は、予の頭《こうべ》に刃を加えるのと同然である」と思いとどまらせた。 しかし、旧幕臣有志の動きは、前将軍の説諭ぐらいではおさえきれず、すでに先月十二日、十七日、二十一日の三回にわたる幕臣有志の会合の結果、彰義隊がうまれつつある。 前将軍慶喜は、これら徳川家臣団の動きに対して、 「無頼の壮士」 という言葉をつかっている(高橋泥舟への談話)。 一方、官軍に対し江戸攻撃の中止を嘆願するため、さまざまの手をうっていた。 勝海舟、山岡鉄舟が、慶喜の意をうけて官軍慰撫の工作にとりかかったのも、このころである。 一説では、近藤勇に対し、幕府の金庫から五千両の軍資金をあたえ、砲二門、小銃五百挺を貸与して「甲陽鎮撫隊」を組織させ、甲州百万石の好餌をあたえて勇躍江戸を去らしめたのも、勝の工作だという。 「新選組に対する薩長土の恨みはつよい。あの連中が、前将軍への忠勤々々といって江戸府内にいるかぎり、官軍の感情はやわらぐまい。追いはなつにかぎる」 ということだったらしい。 考えてみれば、話がうますぎた。窮乏しきっている旧幕府から五千両の大金がすらりと出たというのもふしぎだし、「甲州百万石うんぬん」というのもそう言質《げんち》をあたえれば近藤がよろこびそうだ、ということを、慶喜も勝も知りぬいていたのであろう。 旧幕府にとって、いまは、新選組の名前は重荷になりつつある。近藤、土方を幕下にかかえている、というだけで、徳川家、江戸城、さらには江戸の府民がどうなるかわからぬ、ということさえいえそうである。
 もっとも、余談だが。 明治九年、歳三の兄糟谷良循、甥土方隼人、近藤の養子勇五郎らが、高幡不動境内(日野市)にこの両人の碑をつくろうとし、撰文を大槻磐渓に依頼し、書を軍医頭松本順にたのんだ。日ならず、文章と書はできた。 ただ碑の篆額《てんがく》の文字を徳川慶喜にたのもうとし、旧幕府の典医頭だった松本順が伺候し、家令小栗尚三を通じて意向をうかがったところ、慶喜は往時を回想するように顔をあげ、 「………」 と両人の名をつぶやいて、書くとも書かぬともいわない。 家令小栗がかさねていうと、 「近藤、土方か。——」 とふたたびつぶやき、せきあげるようにして落涙した。 「御書面(碑文の草稿)をそのまま御覧に入れ候ところ、くりかへし御覧になられ、ただ御無言にて御落涙を催され候あひだ、御揮毫《ごきごう》相成り候や否や、伺ひあげ候ところ、なんとも御申し聞かせこれなく、なほまたその後も伺ひ候ところ、同様なんとも御申し聞かせこれなく」 と、家令小栗尚三が、松本順に送った手紙にある。 要するに、何度催促しても落涙するばかりで、ついにいやとも応ともいわなかった。 慶喜の落涙を察するに、譜代の幕臣の出でもないこの二人が最後まで自分のために働いてくれたことに、人間としての哀憐の思いがわき、思いに耐えかねたのであろう。同時に、かれらを恭順外交の必要上、甲州へ追いやったことも思いあわされたのかもしれない。 揮毫をことわったのは、慶喜の維新後の生活信条による。このひとは、生涯、世間との交渉を絶って暮らした。 なお篆額の揮毫はやむなく旧京都守護職会津藩主松平容保がひきうけ、碑は明治二十一年七月完成、不動堂境内老松の下に、南面して立っている。
 さて、話は深川森下の大久保主膳正の屋敷の書院。 ここでの近藤の態度は、ひどく尊大なように永倉、原田ら旧幹部にとれた。 じつは、永倉、原田には具体案がある。 「近藤さん、直参で芳賀宜通《はがよしみち》、このひとは深川冬木弁天の境内に神道無念流の道場をもっていて、門人が多い。この芳賀氏が、ぜひ合流して一隊を組織して官軍に対抗しようというのです」 と永倉はいった。 江戸に帰ると永倉新八はじつに顔が広い。 思いだしてみると、文久二年の暮、幕府が浪士隊を徴募するといううわさをききだしてきたのも、この永倉、そして死んだ山南敬助、藤堂平助であった。 永倉は、御書院番の芳賀宜通と同流というだけでなく、旧友である。永倉新八は松前藩脱藩、この芳賀ももとは松前藩士で、のち旗本の芳賀家に養子として入った男である。 「いかがです、土方さん」 「ふむ」 歳三はこういうときに意見をいわない。癖である。だから陰険といわれた。 「近藤さん、いかがです」 と、永倉はするどく近藤をみつめた。解党すれば近藤は局長でもなんでもない、単に同志にむかって家臣に対するような態度をとる近藤を、永倉はもうゆるせなくなっている。 近藤は江戸に帰ってから、 ——君らは私の家臣同様だから。 と失言したことがある。その一言で傘下を去った京都以来の同志が数人いるのだ。 (だから新党をつくったときには、あくまでも芳賀を中心とし、近藤、土方を客分程度にする) と、永倉、原田はおもっていた。 「その芳賀というのは、どういう仁《じん》だ」 「人物です」 永倉はことさらに強調した。 近藤は心中、物憂《ものう》くなっている。いまさら見も知らぬ男と一緒に事をなすのは、どう考えても気がおもい。 その気分が議論にのりうつって、どちらかといえば恭順論者のような意見を吐いた。 「近藤さん、残念だがあなたを見損った」 原田は、これが袂別《べいべつ》の機《しお》だとおもって立ちあがった。 「まあまあ」 と近藤はおさえ、 「歳は、さきほどからだまっているが、どうなのだ」 といった。歳三、顔をあげた。膝の上で猪口《ちよこ》をなぶっている。 「私は会津へ行くよ」 あっ、と一同は歳三を見た。会津へゆく、という案は、ついぞたれの頭にもうかんでいない。会津はなお、薩長に対する強力な対抗勢力なのである。 「江戸で戦さはむりだ」 「むりじゃない」 原田は怒号した。 歳三はぎょろりと原田をみて、 「君はやりたまえ。私はここではいくら戦さをやっても勝てないとみている」 といった。数日前、援軍依頼で駈けまわった実感でそれがわかるのだ。 譜代の旗本には戦意がない。戦意のある連中も、前将軍の「絶対恭順」にひきずられて十分な行動ができない。 「江戸は、われわれの甲州行きを見殺した。そういう土地で味方を得られるはずがない」 「では土方さん、どうするのだ」 「流山」 「ながれやま?」 「下総《しもうさ》(千葉県)では富裕な地だ。私は多少知っている。さいわい天領(幕府領)の地だし、ここに屯営をすえて近在から隊士を募集し、二百人にも達すれば奥州へゆく。奥州は山河|磽★[#石+角]《こうかく》なりといえども、兵は強い。西国諸藩の横暴に対する批判も強かろう。薩長がたとえ江戸城を陥しても、奥州の団結の前には歯が立つまい」 「歳」 近藤がびっくりしている。 「たいそうな広言だな」 「そうかえ」 歳三は、猪口のふちをきゅっとこすった。 「しかし歳」 「なんだ」 「勝てるのか」 「勝てるか勝てないか、やってみなければわからないよ。おらァもう、勝敗は考えない。ただ命のあるかぎり戦う。どうやらおれのおもしろい生涯が、やっと幕をあけたようだ」 「お前は、多摩川べりで走りまわっていたころから喧嘩師だったなあ」 「まあね」 歳三は、そっと猪口を置くと、袴をはらって立ちあがった。 「原田君、永倉君。こう時勢がひっくりかえっちゃ、もとの新選組で行くわけにはいくまい。たれにも意見というものがある。京都のころは、みなの意見を圧殺しておれは新選組をつよくすることに躍起となった。その新選組がなくなった。別れるさ」 と、原田の肩をたたいた。 原田は急にしょんぼりした。 「みな自分の道をゆこう」 歳三は、さっさと玄関へ出た。そのあとを近藤がついてきた。 夜の町を歩きながら、 「歳、またおれとお前に戻ったな」 と近藤がいった。 「いや、沖田総司がいる」 「ふむ、総司。所詮は天然理心流の三人ということか。伏見で討死した井上源三郎がおれば、四人」 「しかし総司は病人、井上は死んだ」 「とすれば、おれとお前だけか」 星が出ている。 近藤は星にむかって大きな口で笑った。|もと《ヽヽ》の《ヽ》もく《ヽヽ》あみ《ヽヽ》の近藤、土方、というところであろう。 「ところで、歳、流山へ行くのか」 「行くさ。あんたが隊長だ。私が副長」 「兵が集まるかねえ」 近藤は気乗りがしないようであった。かれは鳥羽伏見には参加していなかったから、甲州ではじめて近代戦を体験した。しかも近藤にすれば最初の敗戦である。その後、ひどく気落ちがしている。 (このひとはやはり、時勢に乗ってはじめて英雄になれるひとだな) 歳三は皮肉な眼で、近藤をみている。 「私は喧嘩師だそうだからね、行くところまで行くんだけれども、近藤さんはいやなら行かなくてもいいよ」 「いや、行く」 行く以外に、どこに安住の場所があるか。いま三道にわかれて怒濤のように押しよせつつある官軍のどの参謀の脳裏にも、かつての新選組への復仇の気持があるであろう。 「地の果てまでゆくのさ」 歳三は元気よく笑った。江戸が自分たちとともに戦ってくれないとすれば、戦ってくれる場所を求めて行くのが、これからの自分と近藤の生涯ではないか。 「歳、俳句ができねえか」 と、近藤は急に話題をかえた。 歳三はしばらくだまっていたが、やがてポンと石を蹴った。 「京のころは、わりあい出来たがね。公用に出てゆく道や春の月」 「はっははは、思いだすねえ。都の大路小路は、おれとお前の剣で慄えあがったものだ」 「今後も慄えあがるだろう」 「そうありてえ」 近藤も石を一つ蹴った。こうしてならんで夜道をあるいていると、なんとなく子供のころの気持にもどるようである。
 その後数日、近藤は江戸にいた。歳三は流山へ走って、屯営の準備をした。 近藤は、幕府の倉庫からあつめられるだけの銃器を集め、浅草弾左衛門の手で人夫を募って荷駄隊を組んでどんどん流山へ送った。 今度も、金が出た。二千両である。 これには近藤は感激した。徳川家が自分たちに対してもっている期待と感謝の大きさを感じたのである。 (やらねばならん) とおもった。 旧隊士も、医学所に近藤がいることをきき伝えて、何人かやってきた。かつての三番隊組長で、剣は新選組屈指といわれた斎藤一。 平隊士で大坂浪人野村利三郎。 近藤、歳三と同郷でしかも土方家の遠縁にあたる松本捨助。 これらが、 「流山で旗揚げですか」 と目をかがやかせた。 隊旗も用意した。赤地のラシャに「誠」の一字を白で抜いたものだが、鳥羽伏見の硝煙でひどくよごれている。 「そいつは行李にしまっておけ」 と近藤はいった。このさき、官軍に新選組であることを明示するのは得策ではなかった。 「いや、樹《た》てましょう」 と斎藤はいった。士気がちがう。威武もちがう。江戸の府外の一角に新選組の旗がひるがえるのは、関東男子の壮気をかきたてるものではないか。 「いやいや、しまっておけ」 三日目に、出発した。近藤は馬上。口取りは京都以来の忠助である。墨染で死んだ久吉から二代目の馬丁であった。 千住大橋をわたれば、もう武州ではない。下総の野がひろがっている。 ほどなく松戸の宿《しゆく》。 幕府は開創以来、ここをもって水戸街道の押えの要衝としたもので、御番を置いてある。宿場も、江戸の消費地をひかえた近郊|聚落《しゆうらく》だから、人口は五千、繁華なものである。 近藤がこの宿に入ると、いつどこで知ったのか、松戸の宿場役人をはじめ土地の者が五十人ばかり、宿場の入口で迎えてくれた。 旅籠で昼食をとると、流山のほうからもぞくぞくと迎えの人数がやってきて、たちまち二百人ほどの人数が、土間、軒下、街道にあふれた。 無論、流山に先着している歳三の手配《てくば》りによるものだが、賑やかなことのすきな近藤は、すっかり元気をとり戻した。 「流山は近いかね」 と、そこからきている連中にきくと、 「いえもう、ほんのそこでございます。屯営では内藤先生(歳三の変名)がお待ちかねでございます」 土民だが、みな元気がいい。歳三がよほど煽《あお》ったのだろう。
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